鬼のパンツはいいパンツか

pancho2009-07-02

著者について

パンチョ(Pancho)1973年日本は本州の北の果て、青森県に生まれる。

小学生のときうんこをもらした回数は2回(うち1回は学校で、もう1回は帰宅途中)、さらに小便も2回もらす(ともに授業中)など、神童ぶりを早くから見せる。特に小便の2回目は漏らした小便を前の席のいせやくんのせいにしようと、足で足下から前の席下へ蹴飛ばしていたところ、いせやくんに「パンチョくんがおしっこもらしました」と先生に言いつけられる。

第47回モンゴル語族環太平洋アルツール記念平和特別プレートテクニクス芸術文化セレクション日本におけるフランス年メモリアル仮装大賞金賞受賞(大将のおかげで赤塚先生から1点追加)







叔父、フェルジナンドに捧ぐ(骨折の件はこれで帳消し)







「人はパンツをはいたサル」と言った人がいるが、サルはパンツははくまい。仮にそのサルがいたとして、誰かしら人間の手による作為があるであろうことは間違いなかろう。そのことは自然は永遠に自然のみに支配され、とうてい我々人類の支配が及ぶことろでないということはサルですら知っている、いやむしろ自明のことであろうことは想像に難くない。また、仮にそのサルがいたとして、彼は人間がパンツをはくように意識してはいているのかは、彼のみぞ知る、である。

 「彼のみぞ知る」ということは、我々が認識するほぼ全てのものは主観によるものであって、およそ客観とは主観の最大公約数であり、それぞれの主観から見た客観が同じであるという保証を信じる人は、愚かであろうか。フェルジナンドは(少なくとも私の主観の限り)凡そその類いに属する人物であったが、まるでそれは金の斧と普通の斧とでは、金銭価値こそ金の斧が高いが木こりを生業とする者とっては、大木どころか若木にですらかすり傷程度しか与えられない金の斧の価値は、彼の妻の愚痴ほどのものであろう。もっともその木こりが経済に通じており、金の斧をそだの束とともに市場へ売りに出るほどの知恵者であるかどうかは、議論の余地が与えられるべきことである。また市場へ売りに出たとしても、木こりが売る金の斧を真に評価できる者がいるのであろうか。いた場合、その者こそこの物語でもっとも知恵者であると同時に愚者であると十分に満足できる。



 まさしく鬼が鬼であるかは、鬼ですらわからず、鬼が鬼であるかは鬼以外が認めるところであって、鬼を知らないものにとっては、石けんにできた泡の一泡ほどの些細なことより小さな、まさしくダイヤモンドの原石(あるいはチョコミント)と定義される聖書にあっては、フェルジナンドも思い出すのをはばからない。




鬼のパンツはいいパンツか





 鬼のパンツはいいパンツなのだろうか。鬼は実際にはいない〜少なくとも現実的に物事を考える際に、たいていの場合その存在を仮定しなくともよい〜のであるが、その鬼がはいているパンツがいいパンツであることはどうやって証明すべきであろうか。その方法論を見出せずにいる一方、結論はすでに出ている。鬼のパンツはおそらく(少なくとも本稿では)いいパンツではない。子どもたちにとってはまことに残念であるが、私の信じるべき直感はそのように私に言い聞かせている。結論は急ぐ必要もあるまい。多くの場合、その結論に行き着く方法が大切だと言われるのであって、その結果については一般に言われるほど問われないことは、経験によって裏づけられている。



 まず、本稿における「鬼のパンツはいいパンツ」の分析から始めねばなるまい。そこには多分に稚拙な言語学的考察がなされるのであるが、そのレベルはどうか地平線にそっとしまっておいていただきたい。

 「鬼のパンツはいいパンツ」の議論には、必ず言語学的問題ーあいまい性(ambiguity)がつきまとう。特に日本語の助詞「の」と「は」の議論から離れることはできない。それを解決するには、主に言いかえ文を用いる。

ちなみに、言語学では非文(文として意味をなさない)文を表記する際に、文頭に*を付けます。以下、それにならって例文を表記する。


鬼のパンツはいいパンツ

 鬼がはいているパンツ は いい(主格)

 鬼が持っているパンツ は いい(所有格)

 鬼は いいパンツを はいている(主格)

 鬼が持っているパンツ は いい(所有格)



さらに「鬼のパンツ」には時制の問題もあり、その点について以下の言いかえ文を作成できる。



鬼のパンツ

 鬼がはいているパンツ

 鬼が持っているパンツ(全て)

 鬼がはいていたパンツ

 鬼が持っていたパンツ(全て)



英語では特に顕著であるが、現在形で表現した場合に普遍的な意味合いに解釈することもできる。鬼が非現実的存在であることから、この場合普遍的表現と解釈するのが自然であろう。



疲れてきたので次。







鬼のはいているパンツに興味はないが、田中美保がはいているパンツには俄然興味がわく諸氏も多いであろう。本稿ではパンチョが今イチオシの乙黒えりのパンツと仮定して、とりあえずの議論を進めたい。



乙黒えりのパンツはいいパンツ



問答無用、いいパンツです。乙黒えりはいいパンツ(価値が高い、質が高いなど様々に解釈はできるが)をはいている気がする。また、乙黒えりがはいているパンツがどのようなパンツであっても(たとえばしまむらのワゴンセールものや穴があいたものであっても)いいパンツであることは、諸兄の賛同を十分に得られるであろう。とにかく、このセンテンス



乙黒えりのパンツはいいパンツ



は、文として成り立っている。





しかし、主語を入れ替えると文の意味が変わる。